ダリア
2007年11月11日秋の夕方
電車の窓際に座って
まるで一直線に走っているかのように見える
風景たちをただ淡々と眺めていると
並ぶ家も自然も
全然違うのに
「もう帰るよー」
と言いながら
団地へ先立つ母の後ろ姿を思い出し
既にその時代からまるで癖のように繰り返されてきた
きゅんとした気持ちがよみがえる。
帰りたくないという公園への寂しさか
帰って何かをしなくちゃいけないという家への不安か
そのどっちかがよくわからない。
ただあたしは小さいころから
遊びが終わることも
ずっと遊んでいられないことも
ちゃんとわかっていたような気がする。
このままでいられるはずがない
そうゆう変な理解や不安みたいなものを
持っていた子どもだった。
だから今でも
過去に対する切なさが
未来への不安といっしょになって
どこにもいけない
ぽっかりとした空間になることがある。
心は泣いているのに
頭ではそれを止めているような
そんな感じ。
そしてあたしは
時間を忘れて何かをするということが
あんまりない。
夢中になりすぎてしまうということも
あんまりない。
時間がせまってきたら
胸がチクチクしてしまうタイプ。
真面目というか健全というか
自分で自分に呆れながらも
最近はしょうがないと思ってきましたが
人生で何度くらいかは
没頭したり夢中になったり
そうゆう自分も見てみたい。
ただひとつ
いつもと違うのは
その電車の終着駅には
風邪をひいたかわいい人のお家があることでした。
顔が見たいという気持ちだけで
電車に乗っているなんて
たのしすぎる。
夢中なひとは見つけたみたいぃ。
そういえば
きゅん つながりでいうと
先日たまたま
バイト中に近くの花屋で
スーパーの袋やエコバックをさげて
花を買う母親を目にしたときは
きゅんとしたなぁ。
っていうか
歳とったなぁって。
切なくなりました。
歳はとったけど家の和室のために
花を買うなんて、変わらないなぁって。
ああゆうこと
何年やり続けてきたんやろう
なんてしんみりしてました。
だけどなんか
いい姿でした。
電車の窓際に座って
まるで一直線に走っているかのように見える
風景たちをただ淡々と眺めていると
並ぶ家も自然も
全然違うのに
「もう帰るよー」
と言いながら
団地へ先立つ母の後ろ姿を思い出し
既にその時代からまるで癖のように繰り返されてきた
きゅんとした気持ちがよみがえる。
帰りたくないという公園への寂しさか
帰って何かをしなくちゃいけないという家への不安か
そのどっちかがよくわからない。
ただあたしは小さいころから
遊びが終わることも
ずっと遊んでいられないことも
ちゃんとわかっていたような気がする。
このままでいられるはずがない
そうゆう変な理解や不安みたいなものを
持っていた子どもだった。
だから今でも
過去に対する切なさが
未来への不安といっしょになって
どこにもいけない
ぽっかりとした空間になることがある。
心は泣いているのに
頭ではそれを止めているような
そんな感じ。
そしてあたしは
時間を忘れて何かをするということが
あんまりない。
夢中になりすぎてしまうということも
あんまりない。
時間がせまってきたら
胸がチクチクしてしまうタイプ。
真面目というか健全というか
自分で自分に呆れながらも
最近はしょうがないと思ってきましたが
人生で何度くらいかは
没頭したり夢中になったり
そうゆう自分も見てみたい。
ただひとつ
いつもと違うのは
その電車の終着駅には
風邪をひいたかわいい人のお家があることでした。
顔が見たいという気持ちだけで
電車に乗っているなんて
たのしすぎる。
夢中なひとは見つけたみたいぃ。
そういえば
きゅん つながりでいうと
先日たまたま
バイト中に近くの花屋で
スーパーの袋やエコバックをさげて
花を買う母親を目にしたときは
きゅんとしたなぁ。
っていうか
歳とったなぁって。
切なくなりました。
歳はとったけど家の和室のために
花を買うなんて、変わらないなぁって。
ああゆうこと
何年やり続けてきたんやろう
なんてしんみりしてました。
だけどなんか
いい姿でした。
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